私の人生とADHD

後藤建築事務所株式会社  代表取締役
一般社団法人MONO  代表理事
後藤 英逸

私は、社会人となってから38年間、日本を代表する上場企業3社に勤務してサラリーマンの生活を続けた後、定年後起業し、はや7年目を迎えました。現在、建築設計事務所を経営する傍ら昨年から、起業の手助けをするインキュベーション施設を運用して多くの起業家の方々の支援をしておりますが、多くの方々のご協力をいただき、おかげさまで事業は順調に推移しております。

思い起こせば、かれこれ10年ほど前、古くからの友人である加藤永江先生から何かのお話をしていた折に、私が「ADHD」(注意欠陥・多動性障害:多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴とする発達障害)という発達障害の可能性があると伝えられました。それまではADHDという言葉すら知りませんでしたので何のことかわからず、説明を求めました。加藤先生のご説明をお聞きして、自分の幼少時から現在に至るまでの様々な行動、言動に於いて「なんでだろう。。。。」と不思議に思っていた事がやっと、点と点が結ばれた様に納得ができ、安堵感と爽快感を感じたことを今も鮮明に覚えております。

私自身はいわゆる団塊の世代の人間ですが、同世代人口が多かったことと、日本が戦後から抜け出すため、生まれた時から、競争社会の中で育って参りました。日本の戦後の成長期という時代であったことが原因かも知れませんが、現代とは異なり、一人一人の個性よりも学業成績や、成果というものが重要視され評価される時代でした。そういう時代の中で、ADHDはじめ発達障害や、学習障害を持つ個性的な人や平均的な人と違う個性の人々は、社会に受け入れられない時代でもありました。私は幸いにも、自分の希望した学校で学び、希望した職場にも就けましたし家族にも恵まれました。

ところが加藤永江先生から同じ障害にて苦しんでおられる成人の方々やADHDのお子さんをお持ちでお悩みの御家族がとても多いと伺い、私自身の体験で宜しければ幼少から今に至るまで出来事などをお伝えすることによって皆様に少しでもお役に立てればと思い筆を執りました。ご参考にお読み頂ければ光栄です。

思い起こせば小学校時代、私は学校での学業成績は良く、理解力や記憶力も優れていましたが、親が私の性格について学校の通知表に記載していた内容は、「やさしい、内向的、熱しやすく冷めやすい、猪突猛進(ちなみに私はイノシシ年生まれなのでそのせいだと信じていました。)」というものでした。この中にも冷静に分析すればADHDを伺わせる特徴が見えていますが、当時はそのような知見は知る由もありませんでした。この特性はその後も続くことになりますが、年齢を重ねるごとにさらに自分で気づいた特徴や社会生活の中で顕著に表れる現象もありました。人の話を最後まで聞けない。簡単な計算を間違える。見直すことができない。同じ作業の繰り返し(ルーチンワークなど)や長時間作業ができないなどによりその後の生活特に就職後の仕事に支障をきたすこともありました。

また、変な話ですが、学生時代私の家の机の前の壁は、昔ながらの塗り壁でしたが、そこには穴が開いていました。それは、私が非常に激しいいわゆる貧乏ゆすりをして、足の指が、壁の土を削るからでした。勉強に限らず何かに集中しているときには、貧乏ゆすりをするのです。(こうしてこの原稿を書いている間も、ふと気づくと足が動いております。)自分では貧乏ゆすりは子供の頃だけの大人になってからは、貧乏ゆすりはしていないと思っておりましたが、大人になると、周りが気を使って指摘してくれないだけで何も変わってはいないことが加藤先生に指摘されてわかりました。この年齢(66歳)になっても、『地震だ!』とか『変な音がする』と言われて気づくと自分が貧乏ゆすりをしていることも頻繁にあります。

私の趣味に囲碁があり、日本棋院5段を認定していただいておりますものの、いざ他人との対局となったり、インターネットでの対局という時には、その場でじっくりと落ち着いて考えることができず、結局納得しないまま打ってしまうような動きや、打ってはならないと自分でもわかっているところに打ったりしてしまい、打った途端に失敗が分かるというようなことが頻繁にあります。注意欠陥、思考の継続ができないなど自分ではどうしようもないことがこんなところにもあります。

また、専門領域でも図面や、書類の作成時も一度失敗するとそれを修正して進めるというステップが踏めず、一度全部を捨て去ったうえで、最初からやり直すという無駄な動きをすることが多いのも私の特徴です。

一方私は、仕事に対する姿勢で責任感が強いとの評価として、完成させるまでとことんやる人間、眠らなくても仕事を続ける人間とも言われてきました。これは過集中の裏返しにしか過ぎませんが、他から見ると、他には無い能力として評価の対象になることもあります。

さらに物事をまとめて話すことができないというのも私の欠点です。業務上のプレゼンテーションも、せっかく準備して書いたプレゼンテーション資料も。いざ説明する段階ではその手順に従って説明することができないという欠点があります。最近、自ら事業を行っていることから、人前で話したり、報道機関のインタビューを受けたりする機会が増えてきましたが、その時に、準備してきたことですら、順序立てて説明できないことで困ることが多くあります。一人、二人の人と落ち着いた環境の中で雑談的に話すときには、比較的良いのですが、その時でも、脈絡のない複数の話題に移ることが多く“アッそういえば”、という場面が多くあり、私の話をお聞きになる方には、主題が飛びすぎるので、ご理解いただくのにご迷惑をおかけしている場合が多くなります。こうしたことも、いろいろなことに、頭や、思考がまわっていると好意的に見ていただくことも多々あります。

また、自分の障害に起因すると思われることに、『衝動』があります。人を信じやすく、高い期待評価をして雇用したり、過度の信用をしたりして、金品を渡してしまったり、不要なものを購入するなどの失敗もありますし、また信頼を裏切られると、即座にその人を許すことができずに自分の範疇から切り離すということなどを繰り返す人生でもありました。こんなことも自分がそうした障害を持っていることを理解することにより自分の欠点を補い改善を図ることで解決することができるようになりました。また、そうした即断が結果的に良い結果をもたらしたこともあります。

私の父は、話をするのがとても上手だったことを記憶しております。話の主題に至るまでの話の導入、間の置き方、聞き手の反応に対する対応などです。あの人の子でありながらなぜ??という思いはずっと心に有りましたが、加藤先生から、ADHDのことをお聞きしたことで、そうした様々なことに対する認識ができ、自分を第三者的に見つめることで、自分を大切に思ってくれる他人の意見を謙虚に受け入れるなど、逆に自分らしく生きるきかっけになりました。

冒頭述べましたように、私はADHDという障害がありながらも、66年の間人生を多くの人に見守られながら大きな障害もなく生きてくることが出来ました。また、会社経営を通して、社会的役割を担うことができております。振り返って考えると、自分では認識していなかったものの、自分が障害を持っていたことが、かえって自分を助けたことになった即面があったことに気づくことがあります。

これは、キャリアガイダンスが偶然にも自分の障害に適合していた事かとも考えられますし、定年後起業をする際にも加藤先生から、私がやろうとしている事業には自分の持つADHDの特性は前向きに働くと背中を押していただいたおかげでもあります。自分を知り、ADHDならではの優れた特性を生かし、苦手な部分を知ることにより克服ができる事と、自分だからできる事を教えてもらいましたし、そのことが今の事業を成功に導いてくれているものと確信します。そう、障害というよりも、特性という方がふさわしいかとも思います。

私の専門である建築設計やデザイナーという創造的な仕事に従事する人だけでなく、研究者のような過度の集中が成果につながる人、士業と言われる高度な専門職、イノベーション、発明、発見を起こしてきた人の中にADHDの方が多いことがそれを証明しています。また、日本は諸外国に比べ取り組みが遅れているとはいえ、一般社会の中でも発達障害や、学習障害に対する認識が広がり、またなにより本人が適切な訓練、教育(時には日本ではなく海外の方が適切な教育を受けられるということですが。)や、医療を受けることにより、充実した人生を送ることができるようになってまいりました。

つたない経験談ですが、将来有る方々の少しでもお役に立てればと思います。
平成27年1月吉日